加野屋の襲名披露の日と重なり、和歌山行きを直接あさに伝えることができなかったはつ。

その代わりにはつは来賓として出席していた五代友厚と話をすることができました。

はつが和歌山で農家として再出発することを聞いた友厚がはつ達に贈った言葉が
食は人の天たり、農は国のもとたり
です。

友厚のこの言葉はどこかの書物が引っ張ってきているように思えるのですが、
元々は「食は人の天たり、農は国のもとたり」は誰の言葉なのでしょうか?

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「食は人の天たり、農は国のもとたり」とは誰の言葉?その意味は?

「食は人の天たり、農は国のもとたり」は、
その字の通りではあるのですが

食は人民の生活のよりどころであり、
農業こそが国家運営の基盤である

という意味です。

その後に友厚が言った
農業は人が一生を懸けるに相応しい大事な仕事
というのも納得ですよね。

「食は人の天たり、農は国のもとたり」の語源は約1,500年前の中国に遡ります。
当時の中国は唐の時代です。

ときの皇帝太宗(李世民)がまとめた「帝範」の第一編「務農」の一節の

夫食為人天、農為國本

から来ています。

それが日本に伝わり、日本でも「食は人の天たり、農は国のもとたり」が
使われるようになったというわけです。

帝範は中国の政治書の一つでなんと帝王学の教科書としても有名です。
それだけ農業というのが非常に人にとっても、国家にとっても重要である
というわけですね。

知っている人は知っている!?「農は国のもとたり」がこんなところに!?

私は「食は人の天たり、農は国のもとたり」の言葉は初耳だったのですが、
実は調べてみると意外に使われていることが判明しました。

そもそも、「農為國本」という言葉は普通に日本でも四字熟語として使えるようですね。

この言葉は中日新聞の2009年の元旦の記事にも掲載されたこともあり、
また、関東農政局のページでもこの「農は国のもとたり」の言葉が普通に使われています。

また、「農為國本」で絶対に忘れてはいけないのが玉川大学です。
実は「農為國本」と刻まれた石碑が旧大学の6号館前の植え込みにあるんです。

玉川大学の創立者である小原國芳氏が持っていた信念が「全人教育」。

言葉のとおり、教育こそが最も重要ということですが、その根幹にあるのが
世界をつくるのは国であり、その国をつくるのは人である
ということです。

「食は人の天たり」という部分は、まさに人を動かす原動力が「食」であるということ、
そして、「農は国のもとたり」という部分は「食」によって動く人が国が形成すると読めば
非常にリンクしますよね。

>>>友厚とはつの「食は人の天たり」のくだりのエピソードはこちら<<<